竜馬と本質
”竜馬が行く”をちょっと前まで寝る前に読み直していて、紀州の船とぶつかって賠償金の交渉で長崎で滞在して回天が遅れそうになった…との内容のところですが、交渉上手な竜馬としては、国際的な法体系をある意味振り回して交渉したと言うのだから、考えたらかなり危うい。 しかし、自信を持って行動していたのはわかります。
万国公法がその論拠ですが、この物語の前に、、この法の精神をもって理解していたから、こまごまとした翻訳での間違いに対して、それは説明が違う、と教授に指摘して困らせたのを思い出しました。
この世は複雑になればなるほど応用問題の連続でありますが、しかし、その応用は基本の組み合わせであり、またその基本を如何にしっかりと理解しているかにかかり、またその基本たるや如何に本質を理解、把握しているかにかかっているなと思う次第です。 本質とは真理の別称だろうなと思います。
また行動は信念という両刃の剣みたいなものを持たざるをえないと加えて思う次第です。
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