累さんと祐天さん。それと天からの階段
少し前にマイミクさんの日記にあった恐怖体験&現象に対して自分の言葉で出来る方法を書きました。 その事を思い出しつつ、ある日東急東横線に乗っていたら”祐天寺”の駅名が。
日記に書いた内容は、私の先生から教えてもらったのですが、その内容に関連して思い出したのは江戸時代の念仏僧である祐天さんです。
累さんとは、落語の円朝の「真景累ケ淵」にでてくる方です。 これは怪談ですが、実際にあった亡霊騒ぎをモチーフとしての創作ではあります。確かにそのような事件が茨城県であったようです。 そこで、夜な夜な出没する亡霊である累さんの浄霊をいろいろな僧侶や行者が試すも験無しと。 浄霊では厳しい修行を積んだ方がそれは力があるので、僧侶では密教僧が得意です。 我が家の浄土真宗は、自らの宗派の信者は死んだら阿弥陀仏に救われているので亡霊など無い、というスタンスです。(しかしこっそりと耳打ちされるのは違いますがね。) 累さんの家の宗派はちょっと分かりませんが、それはともかく、祐天さんです。
祐天さんはこの累さんの亡霊を見事に成仏させています。それは、説得”を霊に対して行っています。 いわゆる因縁話を説明したり、また念仏の功徳を強調して、納得するまで説得したとの事です。
僧侶ですから、印を組み、真言を唱え、観想をする、読経をするというイメージですが、浄土宗の僧侶ですからそのような方法は用いそうもないです。 とは言え、当然強力な霊力は有ったとも思いますが(実際最高の呪術者と言われていたらしい)念仏こそすらばらしいという内容ですが、”説得”で自覚を促したいうところがとても興味深いです。
その祐天さんは、そのような霊力というか人間力は当初からなく、逆に成績不良だったらしく、そのことを恥じて成田山にお参りして不動明王から霊示を受けてから可能性の扉が開いたようです。 脱線ですが、不動明王は仏教界ではスーパースターですね。
でも生きても死んでも同じ人間だし、絶対に甘くは見ていけませんし、不真面目なら絶対にやらないほうが良いですが、そのあたりをしっかりそれこそ自覚して、人生の諸問題に対してドンと構えられたら新しい心構えが出来るのでしょうか。
私も面白い夢を見ました。仏様はでてきませんでしたが(他では結構あり)、天から階段が降りてきました。 その時は非常に体調が悪くてへとへとでした。さあ、どうなったか、なんで綺麗な階段があるのだ。 それにだれか宅配のお兄さんみたな人が荷物抱えて上っていったような、無かったような。 そして興味津々。 私も行くぞと突進です。そして調子よく登っていて下をみるとかなり上まで上っていますが、恐怖感は無し。しかし、上の方をみると白い止具で階段の一番上の部分が掛かっています。 そこで、あれ!?、階段はあの止具にかかっているから倒れないのだけど、あの止具自体はどうやってあそこにあるのだ??? と思うと目が覚めました。
酷い体調、白い天に上る階段…上りきったら(止具までいったら)どうなっていたのか、仏様か神様がいらっしゃたのか、それとも三途の川垂直版だったのでしょうか。 つらつら思い出しています。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません